技術、事務の現場
3つのプロジェクトにおける、それぞれのミッション、使命におけるJAPEX社員の挑戦と活躍をまとめたプロジェクトストーリーをご紹介します。
相馬LNG基地
プロジェクト
SOMA LNG Terminal Project
03
国内での天然ガス安定供給とその拡大を目指し、海外からのLNG調達量の増加にも対応するという長期的な視野のもとに立ち上がった大規模プロジェクト。それは東日本大震災からの復興にも大きく貢献した。
萩原 利幸
Toshiyuki Hagiwara
導管事業部
1984年入社/工学部卒業
疋田 ゆかり
Yukari Hikida
広域ガス供給本部 供給計画部
2008年入社/物質工学科卒業
大橋 雄一
Yuichi Ohashi
広域ガス供給本部 事業計画部
2009年入社/地球環境工学科卒業
草間 達也
Tatsuya Kusama
技術本部 技術企画部
2009年入社/国際開発工学専攻修了
※取材当時の配属部署になります。
技術篇
Technical
事務篇
Administrative
生涯一度の
ビッグプロジェクト
福島県・相馬港における、国内最大級となる23万kl級地上式LNG(液化天然ガス)タンクを有する相馬LNG基地。その建設の最終投資決定が行われたのは2013年のことだった。その10年以上前の2000年代、化石燃料のほとんどを輸入に頼る日本においては、天然ガスをマイナス162度に冷却し液化させたLNGの需要が高まっていた。LNGは他の化石燃料と比べて環境負荷が小さい「クリーンなエネルギー」であり、当時は海外からの輸入量は増加傾向にあった。JAPEXでも、国内天然ガス取扱量のさらなる拡大を目指していたことから、海外からのLNG調達量を増やすために必要な施策の検討を続けてきた。その議論に携わっていた萩原利幸は「連日、夜遅くまでこの課題をどのように事業計画へ落とし込むか議論していたのを鮮明に覚えている」と当時を振り返る。
そして東日本の太平洋側に自社LNG受入基地が必要との結論に達し、その立地として福島県の浜通り北部にある相馬港に白羽の矢が立った。プロジェクトの正式発足は2013年。国内最大級23万klのLNGタンクと外航船受け入れのための桟橋を備えたLNG基地を相馬港に建設し、同時に既存の新潟-仙台間ガスパイプラインに接続する約40kmのパイプラインを建設するというビッグプロジェクトだった。
「総額600億円の投資という、まさに社運をかけたプロジェクト」(萩原)であり、プロジェクト全体を統括することになった草間達也は「こんなチャンス、一生に一度のこと」と心を燃え上がらせたのだった。
Chapter 01
〇〇〇年に一度の災害に
耐える桟橋を造れ
写真提供:福島県相馬郡新地町
「信じられない光景だった。言葉が出ないというのは、まさにあのときのことを指すのだろう」。そう草間が振り返るのは、3.11東日本大震災のことである。まさにプロジェクト正式発足に向けて始動した先先に襲った想定外の出来事だった。翌年、LNG基地建設予定地に足を踏み入れた萩原も、被災地を前にただ呆然と立ち尽くすだけ。「まさしく町が消えていた。あの衝撃は忘れられない」と萩原は話す。
震災当日、大橋雄一は新潟勤務であり、被害の様子は報道で知るだけだったが、その衝撃は強く心に刻みつけられた。そしてプロジェクト参画後に外航船受入のための桟橋工事を担当することになった際、「千年に一度の災害に襲われても倒壊しない桟橋にしてみせる」と誓った。例えば、車がバックで駐車するように船の頭を港の出入口に向けて着桟できるようにしたのは、津波襲来時に少しでも速く港の外に出られるように、との配慮によるものだ。ちなみにこの形式の桟橋は日本初である。
写真提供:福島県相馬郡新地町
他のLNG基地は車で言うところの前向き駐車で、船尾を港の出入口に向けて着桟させるものだ。大橋が桟橋工事で最も苦労したのは、LNGの荷下ろし作業を行う構造物の建設だった。事前にパイプやH鋼を溶接で組み立てて、船で現地まで運んで設置するというジャケット工法を採用し、1,000t以上もある構造物を吊り上げ、杭に差し込んで設置するという作業を、揺れる海上で行ったのである。求められる精度は誤差わずか12cm。大橋はこの難工事を見事に成功させる。海洋土木という異分野に挑んだ大橋の、見事な仕事ぶりであった。
Chapter 02
復興への願いを
受け止めて
有力な候補地の一つとして内々に検討が進んでいた福島県相馬港は東日本大震災で発生した津波により甚大な被害を受けた。震災後に「復興と発展にぜひ力を貸してほしい」という福島県の熱心な誘いもあり、JAPEXは自社で初となる大型LNG基地を相馬港に建設する方向で、具体的な調整に入った。
当たり前のことが当たり前でなくなったことにより、事業所や現場事務所の立ち上げに際しても上水道などの整備から始めなければならないという、困難があった。また、LNG基地建設計画を進めるにあたっては、地元自治体をはじめとする関係者との交渉が不可欠であった。
例えば、基地の建設予定地である相馬港の用地の譲渡に係る交渉である。港湾用地は公共のものであり、そこに一事業者であるJAPEXが基地を建設するには福島県の許諾が必要であり、時には厳しい交渉に発展したこともあった。また、外航船受入の桟橋の設置位置については海上保安庁や国土交通省と幾度にもわたり協議を実施し、あわせて、建設予定地周辺の住民の方々にも基地の意義や安全性について丁寧に説明を行っていった。
これらの交渉や対話は非常にタフだったが、同時に、その過程でメンバーが感じたのは、地元からの大きな期待であった。「チームが一丸となって地元行政機関や住民の方々と密なコミュニケーションを取ったことが、地元からの協力を得られた最も大きな理由だと思う」(草間)、「地元の皆さんがこのプロジェクトを復興に役立つ事業と認めてくださり、積極的に応援してくださったのは本当に嬉しかった」(萩原)と感謝の思いとともに当時を振り返った相馬プロジェクトは、他にも「初」チャレンジがあった。
LNGタンクの建設に際しては、工期を大幅に短縮できる「ジャッキ・クライミング・メソッド工法(JCM法)」をフル規格で採用したのだ。一般的なタンク建設では外槽と内槽の工事を別々に進めるが、JCM工法はこの2つの工事を同時に進められることによって、約1年間の工期短縮に成功した。
こうして現場では、LNGタンク工事、LNG気化プラント工事、桟橋工事という3つの工事を同時進行で進め、限られた期間内に全ての工事を完成させるために、1万点を超える膨大な数の図面が用意された。その全てを完璧に管理してみせたのは、疋田ゆかりだった。建設工事の現場にこそ立たなかったものの、現場が円滑に進むための大役を果たしていた疋田も間違いなくプロジェクトの一員であり、「チームとしての一体感を常に感じながら仕事を進めていました」と振り返る。
Chapter 03
一つひとつ、
誠実さを積み重ねながら
2017年12月6日、沖合に小さく船の姿が見えた。相馬LNG基地への第一船としてマレーシアからやってきたLNG外航船だ。草間は「この瞬間をずっと夢に描いていた。その夢の通りのシーンが、目の前で実現した」と興奮を隠せなかった。
船はやがてゆっくりと相馬港に入港し、大橋の手がけた外航船受入桟橋に着桟。その様子を港から眺めていた大橋は「とにかくトラブルなく着桟できてホッとした」と正直な思いを吐露した。
この第一船から荷揚げされたLNGは、基地の試運転に使用した。操業開始前は、LNGを気化したガスはパイプラインへ送らずに燃焼処理をすることも多かった。ガスを燃焼する際には、高さ60mの燃焼塔(フレアスタック)から炎が上がることがあった。この炎は相馬港や地域の復興を照らすシンボルのように辺りを照らし、いつしか地元の人たちから“希望の灯”と呼ばれていた。
翌2018年3月、相馬LNG基地は操業を開始する。
JAPEXの使命である「エネルギーの安定供給」に貢献する、国産天然ガスの安全供給に加え、海外からのLNGをさらに増やすことによる供給量の拡大と、太平洋側からもガスが供給できることによる供給の安全性、安定性をさらに強化する拠点として、重要な役割を果たしている。
また、相馬LNG基地は、周辺地域の震災からの復興と経済・産業の発展に対し、周辺地域への事業の広がりや、基地にかかる雇用の創出などによる貢献も果たしている。
基地が少しずつ形作られると同時に、JAPEX従業員の寮があるJR新地駅前や近隣の街並みなど、地域としての復興も徐々に進み、被災地はしっかりと未来に向かって歩き始めた。その過程を見てきた草間は「わが子の成長を見守るようだった」と述べている。「立ち上げから操業開始までの我々の誠実さが、プロジェクトの成功に結びついたのだと思う。その意味でも実にJAPEXらしいプロジェクトだった」と、萩原は振り返る。
Chapter 04
こんなチャンスは
一生に一度のこと
福島県・相馬港における、国内最大級となる23万kl級地上式LNG(液化天然ガス)タンクを有する相馬LNG基地。その建設の最終投資決定が行われたのは2013年のことだった。その10年以上前の2000年代、化石燃料のほとんどを輸入に頼る日本においては、天然ガスをマイナス162度に冷却し液化させたLNGの需要が高まっていた。LNGは他の化石燃料と比べて環境負荷が小さい「クリーンなエネルギー」であり、当時は海外からの輸入量は増加傾向にあった。JAPEXでも、国内天然ガス取扱量のさらなる拡大を目指していたことから、海外からのLNG調達量を増やすために必要な施策の検討を続けてきた。その議論に携わっていた萩原利幸は「連日、夜遅くまでこの課題をどのように事業計画へ落とし込むか議論していたのを鮮明に覚えている」と当時を振り返る。
そして東日本の太平洋側に自社LNG受入基地が必要との結論に達し、その立地として福島県の浜通り北部にある相馬港に白羽の矢が立った。プロジェクトの正式発足は2013年。国内最大級23万klのLNGタンクと外航船受け入れのための桟橋を備えたLNG基地を相馬港に建設し、同時に既存の新潟-仙台間ガスパイプラインに接続する約40kmのパイプラインを建設するというビッグプロジェクトだった。
「総額600億円の投資という、まさに社運をかけたプロジェクト」(萩原)であり、プロジェクト全体を統括することになった草間達也は「こんなチャンス、一生に一度のこと」と心を燃え上がらせたのだった。
Chapter 01
つないだ線を
途切れさせるな
写真提供:福島県相馬郡新地町
「信じられない光景だった。言葉が出ないというのは、まさにあのときのことを指すのだろう」。そう草間が振り返るのは、3.11東日本大震災のことである。まさにプロジェクト正式発足に向けて始動した先先に襲った想定外の出来事だった。翌年、LNG基地建設予定地に足を踏み入れた萩原も、被災地を前にただ呆然と立ち尽くすだけ。「まさしく町が消えていた。あの衝撃は忘れられない」と萩原は話す。
それにもまして大きな壁となったのが、大規模工事を進めるにあたっては、さまざまな関係者との交渉や対話だった。
その一つが用地交渉である。今回敷設する延長約40kmの高圧ガスパイプラインは、相馬LNG基地から、住宅地や都市部を経て既存の新潟-仙台間ガスパイプラインに接続する計画になっていた。計画ルートで敷設を行うには、パイプラインが通る4つの市町村との連携に加え、ルート上の地権者との合意や近隣の方々の理解を得ることが不可欠だった。そこで萩原を含む事務チームは、計画ルートに係る地権者や住民の方々に対する地区ごとの住民説明会を開催していた。
写真提供:福島県相馬郡新地町
相馬LNG基地と接続パイプラインの意義と工事や運用の安全性について丁寧に説明し、敷設のための協力を依頼した。
地元の反応はおおむね好意的で、基地やパイプラインの工事で新たな雇用が生まれ、被災地の復興に弾みがつくという期待の声も多かった。一方、当然のことながら懸念や反対する声もあった。事務チームは地権者のところへ個別に足を運び、改めて説明し協力をお願いするなど、地道に、愚直に、誠意を積み上げていった。
「パイプ“ライン”という言葉が示す通り、一つひとつの点ではなく、線としてつないでいくことが我々の仕事。関係者の中でたった1人でも反対があれば線はつながらない。インフラ・ユーティリティ事業とはそういうもの」(萩原)
Chapter 02
最も地味で
最も重要なミッションとは
「千年に一度の災害に襲われても倒壊しない桟橋にしてみせる」と誓って桟橋工事に取り組んだのが大橋雄一だった。LNGの荷下ろし作業を行う構造物の建設に際しては、1,000t以上もある構造物を揺れる海上で吊り上げ、誤差12cmの範囲で杭に差し込んで設置するという難工事に挑戦し、見事成功させた。
相馬LNG基地の建設工事は、桟橋工事以外にはLNGタンク工事、LNG気化プラント工事、桟橋工事の3つで成り立っていた。これらの工事に必要な図面を管理していたのが、疋田ゆかりだった。
疋田は、建設会社からあがってきた図面を都度関係者に展開。各担当者のチェックが済んだものを回収し、チェック済み図面の書き込みを集約して、作成元に修正箇所などのフィードバックを行った。ピーク時にはおよそ100点の図面に対してこの作業が同時進行で進められた。
オリジナルに加えて、書き込みがあった図面、修正された図面などが次々と積み上がっていき、最終的に管理対象の図面は1万点を超えるまでに膨れ上がった。その全てを疋田は正確に管理してみせたのである。
「万一、自分が図面を入れ違えたり、返却期限に遅れたりしたら、工事がストップしてしまう。それは絶対に許されないと、常に緊張感を持って取り組みました」(疋田)
管理の仕事は、問題なく進んで当たり前と思われがちだが、その裏では大変な注意と努力が払われている。
草間も「一番地味な仕事だけれど、一番重要な仕事」と疋田の労をねぎらった。基地建設の現場で汗を流したわけではないが、疋田も間違いなくプロジェクトの一員であり、不可欠の存在であった。
Chapter 03
一つひとつ、
誠実さを積み重ねながら
2017年12月6日、沖合に小さく船の姿が見えた。相馬LNG基地への第一船としてマレーシアからやってきたLNG外航船だ。草間は「この瞬間をずっと夢に描いていた。その夢の通りのシーンが、目の前で実現した」と興奮を隠せなかった。
船はやがてゆっくりと相馬港に入港し、大橋の手がけた外航船受入桟橋に着桟。その様子を港から眺めていた大橋は「とにかくトラブルなく着桟できてホッとした」と正直な思いを吐露した。
この第一船から荷揚げされたLNGは、基地の試運転に使用した。操業開始前は、LNGを気化したガスはパイプラインへ送らずに燃焼処理をすることも多かった。ガスを燃焼する際には、高さ60mの燃焼塔(フレアスタック)から炎が上がることがあった。この炎は相馬港や地域の復興を照らすシンボルのように辺りを照らし、いつしか地元の人たちから“希望の灯”と呼ばれていた。
翌2018年3月、相馬LNG基地は操業を開始する。
JAPEXの使命である「エネルギーの安定供給」に貢献する、国産天然ガスの安全供給に加え、海外からのLNGをさらに増やすことによる供給量の拡大と、太平洋側からもガスが供給できることによる供給の安全性、安定性をさらに強化する拠点として、重要な役割を果たしている。
また、相馬LNG基地は、周辺地域の震災からの復興と経済・産業の発展に対し、周辺地域への事業の広がりや、基地にかかる雇用の創出などによる貢献も果たしている。
基地が少しずつ形作られると同時に、JAPEX従業員の寮があるJR新地駅前や近隣の街並みなど、地域としての復興も徐々に進み、被災地はしっかりと未来に向かって歩き始めた。その過程を見てきた草間は「わが子の成長を見守るようだった」と述べている。「立ち上げから操業開始までの我々の誠実さが、プロジェクトの成功に結びついたのだと思う。その意味でも実にJAPEXらしいプロジェクトだった」と、萩原は振り返る。
Chapter 04