技術、事務の現場
3つのプロジェクトにおける、それぞれのミッション、使命におけるJAPEX社員の挑戦と活躍をまとめたプロジェクトストーリーをご紹介します。
カンゲアン鉱区
TSBフェーズ2プロジェクト
KANGEAN TSB-Phase2 Project
02
インドネシア・ジャワ島東部海域。JAPEXは2007年よりこの海域にあるこのカンゲアン鉱区の石油・天然ガスの開発・生産プロジェクトに参画し、インドネシア国内への天然ガス安定供給に貢献している。その息の長い取り組みとして生産量維持のために立ち上がったのが、TSBフェーズ2である。なお、当社の社員は、このカンゲアン鉱区の開発にあたり、現地プロジェクト会社の「Kangean Energy Indonesia」に出向している。
渋谷 岳史
Takefumi Shibuya
Kangean Energy Indonesia出向
2003年入社/理学研究科修了
青木 徹
Toru Aoki
Kangean Energy Indonesia出向
2002年入社/工学研究科修了
伊藤 正泰
Masayasu Ito
Kangean Energy Indonesia出向
1997年入社/鉱山学研究科修了
安達 陽介
Yosuke Adachi
Kangean Energy Indonesia出向
2007年入社/工学系研究科修了
河村 知徳
Tomonori Kawamura
Kangean Energy Indonesia出向
2005年入社/自然科学研究科修了
米村 悦朗
Etsuro Yonemura
Kangean Energy Indonesia出向
2000年入社/法学部政治学科卒
※Kangean Energy Indonesiaはカンゲアン鉱区の開発生産を行う
オペレーターであり、JAPEXの持分法適用関連会社です。
※取材当時の配属部署になります。
技術篇
Technical
事務篇
Administrative
再度、貢献への
チャレンジが始まった
“お帰りなさい!JAPEX──”。
それは2007年に行われたインドネシア政府主催の歓迎セレモニーの席上でかけられた言葉だった。JAPEXはかつてインドネシアでの資源開発に参入していたが、経済情勢などの影響で一時積極的な投資を控えていた。
首を長くしてJAPEXのインドネシア再参入を待っていた人々の歓迎の気持ちが、この言葉には込められていた。
2010年、カンゲアン鉱区で新たなプロジェクトがスタートを切った。
バリ島北方90kmかつ水深90~230mの海域に位置する、テラン(T)、シラスン(S)、バトゥール(B)の3つのガス田からなるTSBガス田群での開発・生産だった。
フェーズ1として、2012年にテランガス田からの生産が始まり、続いてフェーズ2として、“TSB”の“S”と“B”にあたるシラスン、バトゥールでの開発が2016年からスタートした。「カンゲアン鉱区で生産する天然ガスは、インドネシア国内の国営肥料工場や国営電力会社など、主に現地の社会インフラ向けに供給されている。この供給をできる限り続けていくために、フェーズ2の開発をスタートさせた」と、伊藤正泰は振り返る。
Chapter 01
己を信じて
海底を掘り進め
石油・天然ガス開発は、目で見ることのできない地下の地層が相手だ。貯留層エンジニアである安達陽介は、河村知徳(物理探査)、渋谷岳史(地質)、青木徹(掘削)の率いる各チームと協議しながら生産井をどこに掘るべきかを探っていった。
「試掘したのは直径25cmの井戸が3本。たったこれだけの試掘作業で得られた情報から、より多くのガスが生産でき、生産障害のリスクの少ない場所を特定し、生産井の掘削ポイントを決めなければならず、とても、困難な作業だった」(安達)。試掘で得たデータなどの分析の結果、水深130〜230mの海底下深くに貯留層が存在するが、ターゲットの厚さは、最も薄いところで数m程度しかない。このターゲットに向け、生産井を水平に掘削する計画が立てられた。
水平井そのものは珍しいわけではないが、「このプロジェクトでは貯留層を確認するためのパイロットホールを掘削することなく直接水平に掘っていくという非常にチャレンジングな方法を選択せざるを得なかった」(渋谷)。試掘井と物理探査のデータをもとに掘り進んではいくものの、必ず誤差は生じる。実際、想定外のガス層に遭遇して作業が一時中断したこともあった。そんなとき、プロジェクト関係者から「どうするんだ」「いつ再開できるのか」と矢の催促が繰り返された。作業が止まれば、もちろんその分、コストも加算される。
「見えない地下が相手だ。経験や知識を総動員し、腹をくくってベストと信じる判断を下していった」と河村は話す。見事に想定外のトラブルを回避することができたときは、地下を相手に仕事をする醍醐味を実感したという。
Chapter 02
予期せぬアクシデントを
乗り越えて
こうしてチャレンジに成功したわけだが、その後も想定を超えるアクシデントが数多く発生した。その中でも特に印象に残っている件について、青木が振り返る。
「井戸を掘削した後、海底面に設置した“クリスマスツリー”と呼ばれる生産制御装置を設置したものの、井戸内のバルブの一つが開かなくなってしまった。理由がわからず、さまざまな対応策を打っても改善されず、2週間以上の遅延につながってしまうが“クリスマスツリー”の回収を実施するしかないかもしれない、というところまで追い込まれたこともあった」
こうしたトラブルの状況を含め、掘削現場からリアルタイムで送られてくる情報をもとに、プロジェクトメンバーは議論を交わしトラブルの対処について判断を下していった。「バルブのトラブルが解消されたとの連絡が現場から届いた際には、安堵のため全身の力が抜けてしまった」と青木。
“クリスマスツリー”のトラブルは無事解決できたため、すんでのところで回収には至らずに済み、作業の遅延も最低限に抑えられた。
“クリスマスツリー”設置終了後、既存設備まで結ぶフローラインを海底に敷設したり、遠隔監視制御装置を設置するといった海洋作業が2018年12月から始まった。担当は伊藤である。ここでもさらなる闘いが待ち構えていた。その一つがモンスーンである。インドネシアでは10月から3月はモンスーンの影響で海上が荒れる。今回の作業でも高波の発生にともなう荒天待機は度々発生し、開発スケジュールの遅れを余儀なくさせた。生産ガスの供給先である顧客へ直接影響を与えかねないうえ、プロジェクトの開発コスト見通しにもダイレクトに響いてくる。そのため、この遅れを挽回すべく、伊藤は作業工程と関係部署間の調整に大きな力を注ぐことになった。
プロジェクトの資金管理に携わっていたのが、米村悦朗だった。フェーズ2の開発資金は、フェーズ1で開発したガス田で生産する天然ガスの販売収益を再投資してまかなうことが本プロジェクトの方針だった。この方針に沿って、米村は当初からさまざまなケースを想定したうえで、綿密な資金計画を策定していた。だからこそ、想定外のアクシデントが発生しても、資金ショートを起こさずに乗り切ることができたのだった。
「資金面は米村がしっかりとフォローしてくれたので、我々技術陣は心置きなく現場でのチャレンジに集中できた」と伊藤は感謝の言葉を口にした。
Chapter 03
海外だからこそ可能な
挑戦がある
幾多の想定外を乗り越え、フェーズ2の開発は計画通りに終了し、2019年3月に天然ガスの生産を開始した。その結果に対して「ホッとした、の一言に尽きる」(伊藤)というのが、メンバー全員の思いだった。インドネシアの人たちからの“お帰りなさい!”の気持ちに応えることができたという大きな達成感が、その思いの根底にあった。
このプロジェクトの成功に貢献した、作業以外での印象的なエピソードもある。海洋作業を請け負う現地のコントラクターとは週に一回、定期ミーティングがあった。伊藤はこの席に必ず日本のお菓子を持参し、出席者に配った。「日本のお菓子は珍しがられ、彼らも楽しみにしてくれた。現地のエンジニアたちとの間に自然と会話が生まれ、互いの距離を縮めることができた」(伊藤)
また、渋谷は毎日バティックと呼ばれる民族衣装を着て出社し、河村は勉強中のインドネシア語で現地エンジニアたちに話しかけるようにした。日頃から現地のカルチャーに溶け込もうとする姿勢で、チームとしての一体感を築き上げた。
インドネシアは世界の石油産業の最前線の一つであり、卓越した技術力を誇るコントラクターが世界から集結している。「彼らと対峙するには我々にもかなりの技術力が要求されるが、JAPEXの面々には経験に基づいたその力が備わっている」(渋谷)
そして伊藤は言う。「JAPEXにはまず国内で石油・天然ガス開発の基礎をしっかり身につけられる環境がある。ステップを踏んで挑戦できるのがJAPEXの魅力」。その言葉を受けて河村は続けた。「若い人材こそ、積極的に海外に飛び出して欲しい。そして、失敗してもいいから、何度でも立ち上がることを学んでほしい」
Chapter 04
インフラを支えるための
追加開発
“お帰りなさい!JAPEX──”。
それは2007年に行われたインドネシア政府主催の歓迎セレモニーの席上でかけられた言葉だった。JAPEXはかつてインドネシアでの資源開発に参入していたが、経済情勢などの影響で一時積極的な投資を控えていた。
首を長くしてJAPEXのインドネシア再参入を待っていた人々の歓迎の気持ちが、この言葉には込められていた。
2010年、カンゲアン鉱区で新たなプロジェクトがスタートを切った。
バリ島北方90kmかつ水深90~230mの海域に位置する、テラン(T)、シラスン(S)、バトゥール(B)の3つのガス田からなるTSBガス田群での開発・生産だった。
フェーズ1として、2012年にテランガス田からの生産が始まり、続いてフェーズ2として、“TSB”の“S”と“B”にあたるシラスン、バトゥールでの開発が2016年からスタートした。「カンゲアン鉱区で生産する天然ガスは、インドネシア国内の国営肥料工場や国営電力会社など、主に現地の社会インフラ向けに供給されている。この供給をできる限り続けていくために、フェーズ2の開発をスタートさせた」と、伊藤正泰は振り返る。
Chapter 01
プロジェクトを支える
巨額の資金調達
米村悦朗がインドネシアに赴任したのは2016年のことだった。実はカンゲアンプロジェクトと米村には、浅からぬ因縁があった。
「2007年にフェーズ1開発に向けそれぞれの担当者で具体的な作業がスタートしたとき、JAPEXで銀行からの資金調達を担ったのが私。それから10年が過ぎて、現地でそのプロジェクトに関わることになったという点で、非常に感慨深かった」(米村)
油ガス開発のプロジェクトは、とにかくスケールが大きい。銀行からの資金調達が必要な場合、その金額は桁外れだ。カンゲアンプロジェクトの場合は数百億円。JAPEXとしてこの巨額の融資を受けるために事業計画を立案し、銀行を説得しなくてはならない。米村は、先輩や経理部のメンバーと力を合わせ、この資金調達を成功させたのだった。入社数年の若手であってもこれだけの大きなチャレンジで責任ある役割を任されるのは、JAPEXならではの魅力である。
「資金調達に携わった立場からすれば、プロジェクト開始後に計画通り資金回収が進んでいるかが一番気にかかる。その点でもフェーズ1は成功だった。
“立派なプロジェクトに育ったなあ”というのが、インドネシアに赴任した直後の率直な感想だった」(米村)。
もちろんフェーズ2も、“立派なプロジェクト”へと導いていかなくてはならない。だが、それは決して簡単ではなかった。例えば水深130〜230mの海底下深くにある厚さわずか数mのターゲット層を数百mにわたって水平に掘っていくという掘削作業は、大きな困難に直面していた。「貯留層を確認するためのパイロットホールを掘削することなく直接水平に掘り込むという非常にチャレンジングな方法を選択せざるを得なかった」と渋谷岳史。試掘井と物理探査のデータを基にした作業ではあったが、想定外のガス層に遭遇して作業が一時中断してしまうこともあった。
「経験や知識を総動員し、腹をくくってベストと信じる判断を下して、掘削を再開した」と河村知徳。作業が止まれば、その分、コストもかさむ。しかも数千万円、数億円という単位で。プロジェクトの資金管理を担当する米村にとっても、問題が早く解決され、掘削が進むようにと心から願った。
Chapter 02
資金繰りという
もう一つの闘い
生産井掘削後の海洋作業でも、困難が待ち受けていた。インドネシアでは10月から3月まではモンスーンの影響で海上が荒れる。フェーズ2開発作業でも、高波を避けるために荒天待機が発生し、スケジュールが遅れはじめたのだった。これも資金管理上、好ましいことではない。
「赴任した当時、フェーズ1での潤沢な収入があったこともあり資金計画にはあまり関心が向けられておらず、現地で使用されていた資金計画モデルも必ずしも正確なものではなかった。しかし、フェーズ2の開発資金は巨額であり思わぬアクシデントでコストが想定よりも膨らんでしまう可能性もある。いかなる状況でも的確な判断を下すために実際の資金の流れをきちんと反映させた資金計画モデルを作ることは急務であった。そのためにまず関係者に資金計画の重要性を説いて回り、協力を得ることからはじめた」(米村)
フェーズ1で生産にこぎ着けたガス田からの天然ガスを販売し、その収益でフェーズ2の開発費をまかなうということが本プロジェクトの方針だった。
その方針を徹底するため、米村は資金計画の重要性を粘り強く訴え続けたのである。その結果、生産設備のトラブル等で既存ガス田からの収入が減少した際も資金ショートを起こさずに乗り切ることができたのである。
「巨額の資金を必要とするプロジェクトということはわかっていたが、我々エンジニアは技術的なチャレンジに没頭するあまり、どうしても資金面に疎くなってしまう。米村がその点をきっちりとカバーしてくれたおかげで、我々は日々のチャレンジに集中できた」と伊藤は感謝を口にしている。
Chapter 03
海外だからこそ可能な
挑戦がある
フェーズ2の開発は予定通りに終了。2019年3月から天然ガスの生産が開始された。その結果に対しては「ホッとしたの一言に尽きる」(伊藤)というのが、メンバー全員の思いである。インドネシアの人々の“お帰りなさい!”の気持ちに応えることができたという大きな達成感が、その思いを支えていた。
プロジェクトのメンバーは現地法人であるKangean Energy Indonesia社への出向者という立場だ。同社の従業員は約200人で、日本人は10人。米村はプロジェクトの資金面の管理のほか、日本人出向者の労務管理、契約書のレビュー、株主対応などの業務を担当している。
もちろん日本人メンバーの結束は固いが、だからといって日本人だけで固まっているわけではない。渋谷は毎日バティックと呼ばれる民族衣装を着て出社し、河村は勉強中のインドネシア語でローカルスタッフたちに話しかけるようにした。こうして日頃から現地のカルチャーに溶け込む姿勢は、全員に共通のものだ。
河村は言う。「若い人材こそ、積極的に海外に飛び出してほしい。そして、多くのことを学んでほしい」。その言葉を受けて伊藤は「その前提として、国内でしっかり基礎を身につけられる環境がある。ステップを踏んで挑戦できるのがJAPEXの魅力」と続けた。
Chapter 04